本を書く前に
「ジューンさんの英語の発音はとてもきれいですね。」と何回言われたかわかりません。日本語の発音がきれいだと言われると嬉しいのですが。
日本人の顔をしているのに、日本語の新聞が読めない。テレビのニュースがさっぱり理解できない。まるで外国人。
実は...祖父祖母はもともと沖縄の人ですが、第二次大戦前、アメリカに帰化されました。父母はカナダとハワイの二世で、日本で結婚しました。私たち三人姉妹は、沖縄に生まれ、米国国籍を持つ三世です。主の素晴らしい働きにより、アメリカで勉強し、再び日本に帰って来ることができました。
「家族の証を書いたらどうですか。その話はあまりも素晴らしくて、どこかに何か書き残されていないのは、もったいないと思います。」このように勧められ、数年後その道が開かれました。
神の摂理、神の守り、神の導きを伝えるためのものをつくり始めました。本を書き始めたのは英語だったのですが、日本にいる兄妹に分かち合いたくて、つい途中から日本語になっていました。母国語でないのでことばの流れ、感情の表現などは変わっているかもしれませんが、読者が主の御業を感じその恵みにあずかることができたら、この字の足りなさを通してでも神に栄光を帰することになるでしょう。
私はあなたのうわさを耳で聞いていました。しかし、今、この目であなたを見ました。
ヨブ記42:5
本の最初の部分は母から聞いた話、父から聞いた証にしたいと思います。そして、自分の目で見たことも書き加えていきます。
* * *
1 3つの願い
主をおのれの喜びとせよ。主はあなたの願いをかなえてくださる。
詩篇37:4

私はハワイの砂糖きび農園で育ちました。兄が一人いた時、両親が別れました。兄は父親と一緒に行き、私は母と住むことになりました。母はその後すぐ再婚したので、私が父親と知っていたのは伊芸という人で、兄弟6人が与えられました。6歳のとき、金城という人が兄と一緒に家に来ました。離婚の原因は私たち子供に話されなかったし、どちらの親も、こどもの前で相手を非難することがなかったので、私は時々弟・妹を連れて金城家に遊びに行ったことがありました。兄も伊芸家に遊びに来て、「にいさん」と呼ばれていました(現在もそうです)。親の離婚で暗い、悲しい思いをするより、このように明るい思い出がのこっているのは、主に伊芸のお父さんのおかげでしょう。私は子供の世話をしたりしていたので、兄弟に「ねえさん」と呼ばれていました。私に貴族の名前が与えられたと言ってもいいでしょう:金城君子「金の城の主君」。
カワイ島で質素な生活をしました。ある朝、学校に行く途中、近くの畑にいる人に大声で言いました。「今日のごちそう、見て!」
走っていって、弁当箱を開けました。中身は白いご飯に削り節が少し降りかけられているだけ。私ににとっては、りっぱなごちそう。でも、母はなぜ恥ずかしそうな顔をしているのでしょう。
子供の世話をすることを通して母との特別な絆ができたと思います。
ある日、兄弟が水泳に行かせてくださいと母にお願いしていました。断られるとねだるが、何回も繰り返されて、母はついに「行け!」と、どなりました。みんなは大喜びで浜の方に飛び出して行きましたが、私一人は黙って部屋にこそこそ歩いていきました。
母は私を特にきびしくしました。「おまえの兄弟がやんちゃする時、君子が年上だから、責任を取らなければならないの。分かった?」と、いわれていました。
それで、兄弟が庭で遊んでいる時、私は近くで本を読んだり、コーヒーを飲んだり・・・ゆめをみたりしていました。私の性格は主に現実的だと思いますが、いつも3つの願いを心の底に納めてありました。
第1ー高校卒業。我が家は大きい、貧しい家族で、私は女性だったので、小学校を済ませたら、それ以上の教育は求めないと約束をしていたのです。ゆめとしたら・・・大学までと、思うことがありました。
第2-化学が大好きでした。教育を進むことができたら、化学者になりたいと心から思っていたのです。
第3-結婚して家族をもつことです。ほとんどの女性の根本的な願いではないでしょうか。
勉強を愛し、一学年飛ぶことになりました。卒業する時まで(高校を済ませることも許されたのです)、数学と化学の才能が証明され、近くの銀行から金銭出納係長になってくださいというお願いがきました。(男性にも難しいことでした。)
さて、この銀行のしごとを受け取って家族を喜ばすことができたのですが・・・
2章 未知のもの
友人が興奮して私に言いました。「島に宣教師という面白い人が来たの。今は梅雨なのに、何をしてると思う。戸外の集会を開いているのだって。この変な宣教師を見に行かない。そして、雨でびしょぬれになるのを見て、いっぱい笑って来ることができるし。」
外にベンチが並べてあって、前には外人が立っています。友人と一緒に一番後ろのベンチに座りました。雲の方を見上げていつ雨が降るのかな、と思いながら。
集会に来たのは、何か霊的ものを求めていたからではなく、単なる好奇心だったのです。外人が大きな黒い本を持ち上げた時、少しは聞いてみよう、と思いました。雨が降るまでは。
「聖書を使徒の働きに開いて下さい。」と言いました。(英語の発音は「斧」と同じです。)
「斧?薪の割り方の説明等、もういらないのに。今は灯油もあるから。この人、ちょっと時代遅れじゃない。」と思いました。
「使徒の働き、4章。」と宣教師は言っています。
「あ、分かった。斧ではなくて、エックス(アルファベットのX)のことなんだ。」化学でXは未知のものに使われると学んでいたのです。
「使徒の働き、4章12節。」
「でも、「未知のもの、4章12節」?」全然分からない。考えるのはやめて聞いてみよう、と思いました。
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