13宣教師になる? 14ヒトリで行く
13章 宣教師になる?
学校での一年間の責任を済ませ、教師をやめ、神学校で宣教師になるためのくんれんを始めようと、決めました。
| 神学校に来た父母 |
息子が教師になった時、カナダ日系人の中で父母の評判は高くなりました。しかし、今までの親の好意が一変してそれは軽べつに変わってしまったのです。
宣教師になるため、教師の仕事をやめる?
2人は首をよこに振るしかありません。
辞職していたのですが、両親の反対のため、あと一年間教えるように導かれました。(その間、私の生徒数人が私の救いのために祈っていたことが分かりました!)
その一年間、父と母の反対はまえより弱まりました。赤ちゃんが成長すると宣教師になって日本に行くように、あのブランドン市の病院で、宣教師が祈ったことは、この時にも話してくれませんでした。
1年終えて、神学校に入り、宣教師になる準備をしました。
良い妻を見つける者はしあわせを見つけ、主からの恵みをいただく。詩篇8:22
神学校の訓練が終わる頃、私はまだ「しあわせ」を、見つけていませんでした。
もう一人の二世宣教師からの(日本から)手紙にこう書かれてありました。「宣教地に出かける前にい助け相手を求めることを勧めます。」
祈りを通して求めるということは、私の様な若いクリスチャンには、まだ分かりません。それで、自分で「宝探し」をしなければならないと考え・・・
尊敬していた日系人宣教師に妹2人がいたことを思い出し、私はさっそく1人に手紙をかきました。
「海外で忠実に仕えているお兄さんをとても尊敬しています。わたしも宣教の召しを受けています。私と一緒に来て、お兄さんのように主に仕えませんか。お母さんは喜ぶと思います。」
でも、返事が中々来ません。下の妹は考えてくれるだろうか。
「お兄さんは主のために素晴らしい仕事をしていると思います。私も宣教地に向かっているのですが、どうですか。一緒にきませんか。」と、手紙を送りました。
返事がすぐ返ってきました。
「姉に同じことをきいたそうですね」と。
言うまでもなく、沖縄に出て行った時、私は34歳になって、「しあわせ」は、まだ手にいれていませんでした。
手にあったのはカナダのクリスチャンに約束された月々75ドルの献金だけでした。
14章 ヒトリで行く
沖縄・・・暑く、湿気がひどく、蚊がいっぱい、単純な住民、砂糖キビ畑の間にほこりっぽい道が曲がりくねり、古城の廃墟、米軍生地の服・・・この島に召されていたのです。
一年半の伝道の間、神様は伴侶を与えてくれるのではないかと、感じ、もう一人の宣教師と一緒にこのことを祈り始めました。
金城君子さんのことは、神学生の時、宣教雑誌で読んだことがあったのですが、私が沖縄に出て来た時、彼女は最初のファーロで米国に帰ったので、会えませんでした。
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| ロイの按手礼集会 |
彼女がファーロを済ませ日本に帰って来たと聞くと、手紙で自己紹介をしようと、思いました。でも軽率なことをしたくありませんでした。それどころか、今度は、自分の名前や住所は書くことさえできなかったのです。
その翌年、東京の会議に出席することになりました。金城さんが日本に会うことにしました。
いよいよ彼女に会う日が来ました。金城君子さん・・・どんな人だろう。
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レストランの前の歩道を歩き回りました。いつも持っていた聖句暗記カードを取り出し、これで気持ちを落ち着かせようと、思いました。
腕時計を見ました。あと数分。みことばカードを見ました。駅の方を見ました。もおうすぐ後ろのレストランの看板を見ました。ここで待ち合わせることになっていた。
「フォービデン・シティー。英語の名前のレストランはそれしかありません。そこで待っています」と、この間の電話で言ったのでした。


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