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場所: Tengan, Uruma-Shi, Okinawa-ken, Japan

I am an MK (missionary kid) and mother. I grew up in Okinawa to missionary parents, a Japanese Canadian and a Japanese American from Hawaii. My mother began missionary service in 1950, Dad in 1955. So I grew up speaking in Japanese in church but studying in English in a school started for missionary kids. My husband is Japanese (from Koriyama), and both of my children, born in Koriyama, speak only Japanese. We moved to Saitama after the earthquake of 2011. My parents have gone to Glory, and my daughter is now a mother--which makes me a grandmother! We (me, my husband, my son) moved down to Okinawa in September 2024.

8失敗作

 宣教の働きという神様の選択を認めたために、大学教育の夢がこのようにかなえられたのです。

しかし、大学の宣教訓練コース科学のクラスを一つ選択しなければならないことになっていたのです。

どの様な選択科目が あるだろうと思い、入学案内に目を通しました。

天文学・・・無限の探検。微生物学・・・細かさに引き込まれる。物理学・・・難しいがやりがいのある研究。動物学・・・生命の脈動ー好きにならずにはいられない。

次は、植物学。宣教の召しを忘れる程夢中になれるようなものではない。簡単に言えば、あまり面白くは見えない。科学選択科目として植物学をとることにしました。

それでも、学期の終わりまでには、私が植物学にとらわれていたと言った方がいいでしょう。数か月前、あまり興味のなかった科目が、とても面白くなっていたのです。

私をつくった時、神様は失敗したに違いないと、思いました。宣教師になるべき者が、なぜこれ程科学が好きなのだろう、と。

しかし、人よ。神に言い逆らうあなたは、いったい何ですか。形造られた者が形造ったものに対して、「あなたはなぜ、私をこのようなものにしたのですか。」と、言えるでしょうか。ローマ9:20

研究室に閉じこもり、一日中けんびきょうをのぞいていられる様な性格だったのです。微生物は何の口答えもしないし、反抗もしないし。でも、人間は・・・人間がいるからこそ人生というものが難しくなるのだと、思っていました。

また聖霊と戦いました。

宣教師になりフルタイムに人間と働くのではなく、宣教地に出て行って科学を教える方がいいのではないかと、議論しました。

でも、無条件服上以外、平安は与えられませんでした。

主よ、分かりました。何でも、どこでも。

びっくりしたことに、神様は、科学の勉強を続けてもいいと言ってくれたのです。

おとなしくて、まじめで、勉強に熱心だという評判がたちました。

でも、大学教育のうち、寮生活こそ、見落とすことのできないたいせつな部分ではないでしょうか。

ある科学の授業で蛙の解剖をしました。授業後、蛙の皮をきれいに洗って持って帰り・・・

綿を詰め込み、しゃがんでいる姿勢に足をまげて・・・女子寮のシャワー室に置いたのです。

それはそれは大騒ぎ。

次の日、犯人探しがはじまりました。

「動物学クラスの名簿にはのっているけれど」と、ひそひそ話が聞こえます。「でも、君子さんは、まさか、そんなことしないよね。」

「おとなしい、まじめな、勉強好きな」私は、この事件について一言も質問されなかったのです。

このように、よい評判をしっかり握りしめて、無事大学を卒業することができました。

戦争の終わり、「日本に宣教師千人を送ってください。」と、マッカーサー将軍の声が聞こえました。国の状態ー荒発と幻滅(devastation&disillusionment)ーを忘れることができないクリスチャン米軍人は、イエス・キリストにある確かな望みの知らせを伝えるため、宣教師として帰って行きました。

私も宗教教育修士を受けた後、海を渡り、日本に行きました。

東京の神学校でキリスト教教育を教えたり、教会を回って教師訓練会を開くなどしていました。残った自由時間は、手紙を書いたり、本を読んだりしていました。

5年目に神学校の校長先生に尋ねられました。


「金城さん、日本の信者は、進化論の問題と戦っているのですけれど、金城さんは植物学を少し勉強したそうですね。今回アメリカに帰る時、理学修士をとってきたらどうですか。日本の神学校で、科学についてのクリスチャン観点を教えるために。」

「君子さん、これを願っていたのではないでしょうか。」と、神様の笑顔が見える様に感じました。

ところが最初からやりたかったことがついにできると、思って喜んでいたはずの私は、校長先生のお願いを断ってしまったのです。

なぜなら、5年間も聖書を教えたり、信者と共に働きながら感じてきたことは、私にとって科学は前ほどの魅力は持たなくなっていたと、いうことです。フルタイムで教会の仕事をする方を好むようになっていました。

つまり神様が私を造ったことは、失敗ではなかったのです。

そのように、第2の願いー科学者になる夢ーを捨て、さらにすぐれた、さらに好ましいものが与えられました。

主をおのれの喜びとせよ。主はあなたの願いをかなえてくださる。詩篇37:4

この新しい発見を手にいれ、最初のファーロのためにアメリカに帰りました。ハワイに寄った時、母に質問されました。「君子、おまえは30を超えている。結婚するつもりはないのか。」

「お母さん、結婚がいやだというわけではないの。だた、相手が与えられていないから。」

高校卒業後、また大学時代は求婚者が2人いたのです。でも2人の将来に海外伝道というものはなかったので、私は2人を過去に置いておくしかなかったのです。3番目の願いを心に納めたまま。

ほとんど同じ時に、もう1人の二世宣教師が太平洋を渡り、沖縄に向かっていました。

その人は私のことを聞きました。私の宣教の仕事、私の背景、私が独身であること。その人は自分のことを説明した、長い手紙を送ってくれたのです。

この人のことをもっと知りたいと、思わされました。でも、面白い人。手紙には、住所氏名が書かれていなかったのです!